大谷吉継の墓 三成公の観音寺編 [琵琶湖 関ヶ原 インディでいったぜ]

感動!関ヶ原 珍スポット ウォーランド編からのつづきです。


時間がそんなに無いのにウォーランドで時間を使っちゃった前回でしたが、

こんどは、大谷吉継の墓と 三成公の観音寺に行きます。



もう一回、ひどい島左近をどうぞ^^
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「関ヶ原ウォーランド」で入場料350円をムダにしたあと^^

気を取り直して、「大谷吉継」の墓に行ってみます。


道路に看板を見つけました。こっから歩いて10分なので、駆け上れば10分しないでしょう。
興味のないAnさん(妻)はインディで待機。
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走ってしばらくすると、なぜかこんな看板
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時間が増えてます(゚◇゚)~


10分弱で着いた。
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隣には湯淺五助の墓もあります。
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小早川秀秋の裏切りにあいながら、健闘していた大谷吉継でしたが、味方が次々と討ち死にし、
自分も自害しました。 

湯淺五助が首を埋め、五助は再び東軍に討ち入り、藤堂軍に捕らえられます。

ハンセン病を患った自分の首を絶対に敵にさらすなと言われていた五助は、その事を藤堂軍に伝え、
供養を頼んで正直に埋めた場所を伝え、その後討たれました。 

その事に関心した藤堂は、家康にも場所を教えず、ここに墓を建てたそうな。

なのでこの場所はかなり信憑性があると思います。
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こんな碑も建ってました。
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当時からありそうな大きな木を探していたら、空蝉を見つけました。
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関ヶ原はこのへんで。 司馬遼太郎の「関ヶ原」

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すごく面白いですよ。東軍の家康が勝つと分かってても、わくわくしながら読めます。

途中、「三成いけるかも!」と思っちゃうくらいです。



適当なお店で昼食をとって、車でたしか30分くらいの「観音寺」に行きました。
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三成公と、秀吉が出会った所といわれています。


鷹狩りの途中で秀吉がこの「観音寺」に立ち寄り、茶を所望したところ、三成公は最初は
喉が渇いているだろうから、ごくごく飲めるようにぬるく、次はちょっと熱く、最後に熱いお茶をだしたそうな。

関心した秀吉が三成公を召抱えたらしい。「三碗の才」と言われています。


そん時の井戸
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この「三碗の才」は、江戸時代に流行った「絵本太閤記」に出てくる話で、一級史料にはないので
どうやら創作らしい。 吉川栄治の太閤記には、小谷城攻めの時、攻めあぐんでいる秀吉軍に
搦め手(城の後ろ)の道を地元の子供、佐吉が案内し、小谷城落城。この佐吉が後の石田三成
なんてなってました。


つづく。


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