感動!関ヶ原 珍スポット ウォーランド編 [琵琶湖 関ヶ原 インディでいったぜ]
2012年 10月9日~11日まで、関ヶ原、琵琶湖に行ってきました。
今回のお出かけから帰宅して、一週間もたってしまいました^^;
どうしてこんなに遅くなってしまったかとゆうと、あまりにも感動が大きい旅だったからだと
思います。
いつものように、さらーっと書く気になれなかった。
いつもより上手に書きたいとゆう思いが強いせいで、なかなか書き出せずにいました。
それくらい今回の旅は、戦国時代好きの私にはよかったです。
ちょっと大げさかな^^;
写真もいつもは、サーっと取捨選択しちゃうのですが、どれも捨てがたく、今回はやたら多いです。
10月8日(月曜日)。
祭日だったので、いつものように仕事を終えて、20時くらいに出発。
今回は、中央道を通って行きます。 近くの川越ICからだと中央のほうが、行きやすいんです。
東名のほうが、距離も少し短いんですが…。
そんで「駒ケ岳SA」で就寝。 東名が集中工事の為か、トラックがすんごく多かったです。
翌朝
ここはドッグランもあります。
「駒ケ岳SA」には24時間営業のコンビ二もあるので、便利です。
そんで「関ヶ原」駅に11時ごろ到着
駅の目の前に「観光案内所」があるので、そこで地図をもらいました。
ボランティアのおじいさんが、親切にいろいろ教えてくれます。
おじいさん「今日は祝日の翌日だから「関ヶ原町歴史民族資料館」がお休みなんだよねー」
がーん。
残念。すんごく楽しみにしてたのに。
「関ヶ原ウォーランド」はやっているらしい。でもここは子供っぽい施設だと思ってたんだけど、
おじいさん「でも資料もあるし、なかなかいいよ」との事。 一応行ってみるか。
休館の「関ヶ原町歴史民族資料館」にも寄ってみます。
レンタサイクルの倉庫がかっこ良すぎます。
いよいよ三成公の陣跡「笹尾山」
下から
陣跡から左の方
陣跡から右の方
こんな資料もあります。
笹尾山、三成公の陣跡から関ヶ原を眺めます。
三成公はどんな気持ちでここから戦況を見ていたのでしょう。
きっと布陣した時は、いけると思ったでしょう。 普通に全員 戦に参加してたら、こんないい布陣は
ないでしょう。
今までは図でしか見たことなかった関ヶ原の布陣を、こうして実際に立体的に見ると、
かんどー的です。 ちょーかんどー的です。
最後の小早川秀秋のが無かったらなーっ。 キリがないのでこのへんで^^;
次は決戦地
インディも一緒に。
ここから三成公の笹尾山の陣跡が見えます。
「関ヶ原ウォーランド」にも行ってみました。
こんな感じでコンクリートで作った武将達が配置してあります。
可児才蔵
笹の才蔵。 東軍で参加した才蔵は、戦後家康に「討ち取った首は持ちきれないので、
口に笹を挿しておいた。」と言ったそうです。 たくさんの笹をくわえた遺体があったそうな。
藤堂高虎
「武士たるもの七度主君を変えねば武士とは言えぬ」と言ったそうな。
大谷吉継
最後の切腹のシーン。 三成公とは盟友だったので、西軍に参加。
秀吉が、「吉継に百万の兵を与えて、自由に指揮させてみたい」と言ったそうな。
晩年はハンセン病を患って皆に避けられていたが、三成はそんな吉継を差別せずに接していたらしい。
三成公
1番ひどい出来なのが、島左近
「三成に過ぎたる物が二つある。島の左近と佐和山の城」と言われたほどの武将が
なんでこんなにタジタジなんだ!!! 命乞いしてるみたいじゃないかー!!!
ウォーランドは小学生の遠足向きの施設でした。 雑誌にも、「珍スポットを超えた!」と書かれていました。
確かに超えてはいました^^
つづく。
今回のお出かけから帰宅して、一週間もたってしまいました^^;
どうしてこんなに遅くなってしまったかとゆうと、あまりにも感動が大きい旅だったからだと
思います。
いつものように、さらーっと書く気になれなかった。
いつもより上手に書きたいとゆう思いが強いせいで、なかなか書き出せずにいました。
それくらい今回の旅は、戦国時代好きの私にはよかったです。
ちょっと大げさかな^^;
写真もいつもは、サーっと取捨選択しちゃうのですが、どれも捨てがたく、今回はやたら多いです。
10月8日(月曜日)。
祭日だったので、いつものように仕事を終えて、20時くらいに出発。
今回は、中央道を通って行きます。 近くの川越ICからだと中央のほうが、行きやすいんです。
東名のほうが、距離も少し短いんですが…。
そんで「駒ケ岳SA」で就寝。 東名が集中工事の為か、トラックがすんごく多かったです。
翌朝
ここはドッグランもあります。
「駒ケ岳SA」には24時間営業のコンビ二もあるので、便利です。
そんで「関ヶ原」駅に11時ごろ到着
駅の目の前に「観光案内所」があるので、そこで地図をもらいました。
ボランティアのおじいさんが、親切にいろいろ教えてくれます。
おじいさん「今日は祝日の翌日だから「関ヶ原町歴史民族資料館」がお休みなんだよねー」
がーん。
残念。すんごく楽しみにしてたのに。
「関ヶ原ウォーランド」はやっているらしい。でもここは子供っぽい施設だと思ってたんだけど、
おじいさん「でも資料もあるし、なかなかいいよ」との事。 一応行ってみるか。
休館の「関ヶ原町歴史民族資料館」にも寄ってみます。
レンタサイクルの倉庫がかっこ良すぎます。
いよいよ三成公の陣跡「笹尾山」
下から
陣跡から左の方
陣跡から右の方
こんな資料もあります。
笹尾山、三成公の陣跡から関ヶ原を眺めます。
三成公はどんな気持ちでここから戦況を見ていたのでしょう。
きっと布陣した時は、いけると思ったでしょう。 普通に全員 戦に参加してたら、こんないい布陣は
ないでしょう。
今までは図でしか見たことなかった関ヶ原の布陣を、こうして実際に立体的に見ると、
かんどー的です。 ちょーかんどー的です。
最後の小早川秀秋のが無かったらなーっ。 キリがないのでこのへんで^^;
次は決戦地
インディも一緒に。
ここから三成公の笹尾山の陣跡が見えます。
「関ヶ原ウォーランド」にも行ってみました。
こんな感じでコンクリートで作った武将達が配置してあります。
可児才蔵
笹の才蔵。 東軍で参加した才蔵は、戦後家康に「討ち取った首は持ちきれないので、
口に笹を挿しておいた。」と言ったそうです。 たくさんの笹をくわえた遺体があったそうな。
藤堂高虎
「武士たるもの七度主君を変えねば武士とは言えぬ」と言ったそうな。
大谷吉継
最後の切腹のシーン。 三成公とは盟友だったので、西軍に参加。
秀吉が、「吉継に百万の兵を与えて、自由に指揮させてみたい」と言ったそうな。
晩年はハンセン病を患って皆に避けられていたが、三成はそんな吉継を差別せずに接していたらしい。
三成公
1番ひどい出来なのが、島左近
「三成に過ぎたる物が二つある。島の左近と佐和山の城」と言われたほどの武将が
なんでこんなにタジタジなんだ!!! 命乞いしてるみたいじゃないかー!!!
ウォーランドは小学生の遠足向きの施設でした。 雑誌にも、「珍スポットを超えた!」と書かれていました。
確かに超えてはいました^^
つづく。
2012-10-17 22:23
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